昭和48年5月2日 堺市鳳に生まれる。
4歳「玄象」の仕舞にて初舞台、6歳にて初能「三井寺」子方(シテ父)を勤める。
以後、先代観世銕之丞師、栄夫師、喜之師、父のシテにて三井寺、隅田川、百万、国栖、歌占、船弁慶、住吉詣、橋弁慶、鞍馬天狗、大江山、邯鄲、鳥追舟、安宅等を経、サンケイ能先代観世銕之丞師の邯鄲を終わりに計三十数番舞台を勤め、子方を卒業とさせる
現在東西の舞台で活動。お稽古場は「芦屋」「桃谷」「堺 高倉寺宝積院」(泉ヶ丘)東京「九段下」「新小岩」を中心に普及活動に取り組んでいる。
●観世九皐会所属
昭和18年1月25日 — 令和2年4月5日
令和元年5月より、間質性肺炎に煩い乍ら、翌年の3月、他界する1ヶ月前まで舞台に立つ。
父を2歳の時に失い、母とは9歳の時離別し、大阪堺の伯父 勝次郎宅に引き取られ能楽の指導を受ける。
小学校卒業後すぐ東京に移り2世観世喜之師を師事し、12年間の修行を経て24歳の時独立する。
「能・狂言の夕べ」「堺市民能」「芦屋能」などを主催し活動的に取り組んだ。
「大阪文化祭賞」3度受賞、「芦屋市民文化賞」「堺文化功労賞」「大阪府知事賞」「堺有功賞」などを受賞。
石橋、猩々乱、道成寺4回、安宅4回、屋島(弓流、素働)、望月、三輪白式神神楽、摂待、木曽、当麻、卒都婆小町、鸚鵡小町、姨捨等を勤める。
初舞台 2歳独吟「老松」その後
能子方「安宅」「烏帽子折」など
100番以上を勤め、シテなども数番勤める
初舞台3歳 独吟『老松』その後
子方『海士』『百萬』『三井寺』
シテ『猩々』『小鍛冶』など勤める
初舞台 2歳独吟「老松」その後
能子方「鞍馬天狗」「百萬」などを勤める